概要
イベント
紙漉体験
各種教室
アーティスト支援
交通アクセス
賛助会・友の会
予定カレンダー
展覧会情報
いんべの名勝
地域と協働
阿波和紙会館では、いんべの名勝を紹介しています。
一覧に戻る
トップへ戻る
道標
山崎の西久保から祇園を通り坂田を経て,川田の麦原へ通じる道の辻々に,写真のような道標(道しるべ)が数か所建てられている。祇園の坂田へ行く道と種野方面へ行く辻にあるものは,何者かによって倒されている。
現在では何の役にも立たないものであるかも知れないが,まだ道路が整備されておらず,交通機関のあまり発達していなかった頃には,なくてはならぬ大切な道しるべであったのである。
道標の文字は「右高越山」あるいは「右こをつ山」「左つるぎ山」と刻んである。
現在,つるぎ山へは穴吹駅や貞光駅で下車して登山しているが鉄道が舟戸(今の川田駅の少し西寄り)までしか通じていなかった頃には,山瀬駅で下車し,徒歩で種野,中枝,中村,二戸を経て木屋平に至り,そこからつるぎ山へ登山していたのである。
その他,四国遍路の道しるべが町内に数カ所建てられている。西から順を追ってみると,東市久保の三木家の北側に「左徳島」「右焼山寺」と刻まれた道標がある。次に南町の近藤医院前には「右高越山」「左焼山寺」と刻まれ,道路整備のため、なかば地中に埋もれた高さ40センチぐらいの自然石の道標があった。次に横走の先山家の西側に「右へんろ道」「左こんぴら道」と刻した自然石の道標がある。これらは昔の人が四国88か所詣りを徒歩でしていたことを物語っている。なお,高越山参道には力士一本が配置したといわれる丁石が1丁ごとに建てられていたが、現在では登山者のいたずらで移動したり,消滅したりしているものもある。現在残っているものは50余本のうち、わずか12?13本でる。せめて残っているものだけでも大切にしておきたい。
これらの道標の前に立って,じっと眺めていると、もっぱら徒歩で旅をしたり,登山をしていた昔の人達の苦労が偲ばれる。