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手漉和紙製造技法
徳島県の和紙は歴史が古く,大昔,天日鷲命が川田で紙をすかれたといわれる。奈良時代には,朝廷に和紙を献上したという記録が残っている。また,明治23年(1890)には,パリで開かれた万国博覧会に,川田の紙が出品された。
和紙を造るには,原料のコウゾと,にべ(紙に粘りを持たせるためのもので,トロロアオイ等の木から作られる)と清水がいる。川田は,その三大条件を備えていたのである。
昔,高越山は,コウゾの木が多いところから「コウゾの山」と呼ばれ,それが転じて現在の名がついたとの説もある。また,にべにする木もたくさん生えていた。そして,川田川の水は,紙すきに最適の水であった。
明治時代になると,文明開化とともに紙の消費は一段と高まり県下では,川田地区を中心として,すき屋が250軒を数え,阿波紙は全国的にその名声が高かった。
しかし,その後の洋紙製造技術の進歩と,それにともなう機械すき和紙の隆盛により手すき和紙の製造もしだいに衰え,現在では川東の富士製紙企業組合(組合長藤森実)だけが,やっとその製造をつづけているに過ぎない。
その手すき技法を保存しようと,山川町は昭和44年8月に,これを民俗資料として指定し,つづいて,県は昭和45年6月に無形文化財に指定した。
1500年の歴史をもつ阿波和紙は,忌部族が麻や楮を植えたことからはじまり、長い歴史に培われた技術・技法を製作行程に再現、実演や見学、体験する施設として阿波和紙伝統産業会館がある。
山川町教育委員会