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検地帳
検地帳とは,農民の田畑の面積を調査した帳簿である。封建社会の支配階級である武士の生活を支えるものは,いわゆる年貢であり,年貢の基礎となるものは検地である。蜂須賀家は阿波国入国の年天正13年(1585)より検地を行ない,天正19年に完成したようである。この時は,実地測量をせず,農民に反別・貫高を申告させた。ここに貫高とは,税金を米でせずお金でしていたので,お金の単位を貫という。そして,この検地を機として,これからは収穫高によることにし,米1石は銭1貫とした。
慶長8年(1603)幕府は諸大名に命じて検地を実施させた。その時・方6尺を以て1歩とし,300歩を以て1反とすること,間竿(長さを量る尺)し、または,2間竿を用いることなどを通達した。しかし・わが阿波藩では,昔からの仕来りだといって,6尺5寸を以て1間としたようである。田畑の等級は10段階に分けた。
慶長の検地は,実地に測り,以後長く用いられた。この頃より阿波は二十五万六千九百余石といわれてきた。税は大体四公六民といって,4割を藩へ,6割を農民というのが定めであったが,実際は六公四民であったようだ。また隠田,隠畑(帳面にもれている田畑)を禁じ,山地や竹薮を開墾することを奨励し,新開田畑は開墾後3〜5年は免税とした。
山川町には検地帳が51冊あり,市教育委員会が保管している。古いものでは,慶長7年(1602)の川田村新開御検地帳,山崎村検地帳があり,明暦3年(1657)川田村薮開御検地帳もある。
その内訳は 新開御検地帳43冊 薮開御検地帳 8冊
名負林御検地帳1冊 である。
山川町教育委員会