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和田虎平の句碑
明王院から高越登山道へ通じる1本の細い道の右側に,緑泥片岩の,高さが1メートル20センチ,幅が80センチぐらいの石碑がある。これが俳人虎堂,和田虎平の句碑である。表面を平らに磨き,次の句が刻まれている。
落葉ふんで 行くや病の すてどころ 虎堂
その裏面に「和田虎平胃癌を病む。昭和五年秋,大阪へ受診に行くとて,句あり,翌年5月逝く。年三十七。」と刻んである。 和田虎平は,川東の人で明治29年(1896)生まれで,虎堂と号した。家は木材商で製材業も営み富裕であった。祖父を熊三郎といい,父は文平といった。祖父は文学を好み,和歌を作ったが,一徹の人柄であり,一方父は至って温厚であった。虎平は,三木熊二の門下生で,多才であり,俳句を作り音楽を好み,当時流行のバイオリンを弾し)た。人柄にくだけたところがあり,熊二に大変信愛されていた。昭和6年5月重患のため37歳の若さで没したが,その死後,三木熊二の主唱でこの句碑が建てられた。碑の文字は熊二の書である。
虎平の原作は
落葉ふんで 行くや命の すてどころ
であったが,熊二があまりにも痛ましいと,句碑では「命の」を「病の」と改めたという。
虎平には幾多の作品があったはずであるが,今はその所在がわからない。山中の草深いほとりに建つ,この青石の句碑だけが,わずかに虎堂和田虎平をしのばせるに過ぎない。