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中西有隣の碑
中西有隣は,天保5年(1834)4月15日に川田村住吉の医者の家に生まれた。幼名喜一,通称有隣,号は蓋山であった。
弘化4年(1847)から嘉永4年(1851)まで,徳島藩典医,山口玄機に教えをうけ,さらに溝上玄清の門にはいった。安政2年(1855)から川田村で家業を継ぎ,明治39年(1906)11月5日に72歳で没した。
有隣の多彩な生涯のうちでも,特筆されるものとして,中西文庫と勧善会がある。ことに,勧善会は明治22年(1890)10月に創立され,当時,会員1,000名を越えていた。この会で有隣は毎月講話をし,善を行なうことを勧めた。
この教化活動に徹した有隣の考えは,現在の山川町の有志の人々にも受け継がれて,なお生きている。
また,この有隣は,正しいことを貫く強い意志と,貧しい人たちには無料で医療をほどこした博愛心との持ち主でもあった。還暦の祝いには,2,000名の人々が集まったと碑文にも記されている。
有隣の碑は,彼が郷土に尽くしたその遺徳をしのぶため,佐藤武五郎,工藤尉平が世話人となり,松島顕三と明密厳が碑文を作り,約1.7メートルの自然石で建てられた。