阿波和紙会館では、いんべの名勝を紹介しています。

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西法寺
宗派真言宗御室派 本尊普贅菩薩 檀徒約300戸
 西法寺は・天正年間(1573〜1591)土佐の長曽我部元親の阿波侵入の戦火にあって全焼し,慶長2年(1597)に現在の所に再建された。
 当寺は、もと阿波郡伊沢村(今の阿波郡阿波町伊沢)明王院の末寺(明王院から分かれて新しく建てられた寺)で,王子山長寿院といわれ,本尊の普賢菩薩は恵心僧都の作と伝えられている。
明治23年(1890)に,明王院から離れ,高野山金剛峯寺の直末となり昭和27年に,宗教法人施行と同時に,真言宗御室派となった。
 当寺は・昭和2年10月20日午前1時,不幸にしてお堂が焼け,多くの古文書・空海上人作と伝えられる弁財天とともに焼失した。現在の建物は,昭和3年9月再建したものである。
 西法寺の境内本堂前には,錬士造りの阿弥陀像がある。これは昭和3年に現在地に再建した時,旧境内地から発掘したもので,高さが1.1メートル,胸辺が幅82センチの座像で,奈良朝後期,天平時代(726〜764)の作といわれる。
 また,山門は「閉めずの門」といい,昔・住職が門を閉めてあったところ「夜行さん」といわれた変化が・首切馬に乗ってここを通り・大門の扉の蝶つがいを,ねじ切ったという伝説があり,その後,毎月旧暦大晦,小の朔日には閉めないといわれている。昭和57年闇から闇に葬られた水子供養のために境内に水子地蔵尊を建立した。
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