阿波和紙会館では、いんべの名勝を紹介しています。

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川島焼平窯
かつて川島町の岡山、山田地域一帯の洪積台地では、豊富に採取される
粘土を原料とする川島焼と呼ばれる焼き物を産出していた。起源は江戸時
代の天保年間(1830~1844)頃と言われ、当初は瓦を製造していた。後に瓦   
以外に七輪(しちりん)や焙烙(ほうろく)等の生活用具や、建築用品も製造するようになった。川島焼が最も隆昌(りゅうしょう)を極めたのは、明治から大正時代にかけての時期であり、  1955(昭和30)年頃にも菊用の鉢が多く生産されていたというが、現在は生産されていない。  この窯は、1941(昭和16)年に当地の前田元一、敏雄父子が築造した窯の  跡であり、現存する唯一の窯跡である。平窯築造には延べ人数約20人を要  したという。1953(昭和28)年まで使用されていた。同家には屋敷内に3基の窯を持ち、職人は14~15人いたという。
吉野川市教育委員会